「個人コンサルタントが大企業に勝てた理由」鬼本昌樹氏

鬼本昌樹
戦略人材コンサルタント。
上場企業で経験を経て、リストラをされながらも日々奮闘している。

社内教育や人材開発の仕事を経て、
独立したコンサルタントとして活動。

「人財が強い組織」をつくるという考えから、人を育てる大切さを謳っている。

個人を活かすことで組織の運営をよりよくしようとしている。
“経営とは個人を大切にすることにあり“と言っているかのごとく、
人を重要視している。

本講演は自身の苦難から、「社会の受け皿を自ら構築した実践」を表している。

「個人コンサルタントが大企業に勝てた理由」鬼本昌樹
動画は、こちらのです。
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リストラ経験も糧にコンサルタントを始めた

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戦略人財コンサルタント鬼本と言います。

人財という字は間違えていませんこの字を書きます。
なぜ、この字を書くかというと、
おそらく今日のプレゼンテーションで
ご理解できるかなと言うふうに思います。

さて、この中でみなさん現在コンサルタントをしている
もしくはこれからコンサルタントをしてみたいと
思っていおられる方おりますか?
おりますね。ありがとうございます。

わたくし今ご紹介がありましたようにリストラ。
そういう事を、どうやって乗り越えてきたのかと
いうところを紹介していきたい。

これからコンサルタントを目指す方に対して
少しでも役に立てるという気持ちでこの時間を進めていきたい。

その前にわたくしの簡単な自己紹介をさせてもらいます。

師が“今“を繋ぐ

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実はここで今から58年前わたくしは呉で生まれました。
その後に京都大学の理学部で「宇宙物理」という学問をやります。

何やったかと言うと「宇宙の構造ってどうなってるの?」と言う事なんですが、
研究するに非常に値しない。
悩んじゃう、何やってんだ俺、こんな人生でいいのかって?
いうふうに悩んでしまいました。

湯川先生ですね。
隣の研究室で「悩んでます。聞いてください。」
「どうしたの?」
「宇宙は楽しいんですけど、世界で活躍したいんです!
どうしたらいいんでしょう?」。

それは簡単だよ3つの事やってみたまえって言われたんですね。

まず1つは“英語“、なるほど確かにそうですよね分かりました。
2つ目“コンピューター“、
今から40年前なんですけどもまだ花形産業です。
それでコンピューターなるほどわかります。

さぁ3つ目、“基礎物理学“。  「なんでやねん!?」、
先生いわくですね。「君ね。世界で活躍したいんだよね?」、「その通りです。」 。

グローバル・ビジネスを体感しようと思いきや

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「外人はね。ロジカルにものを考えて
ロジカルにコミニケーションとってくるよ。」
「それをやる為にはですね。」
「このいわゆる基礎を理論的に考えて、
証明して説明してっていう、こういう学問がいいんだよ。」
なるほどって言う感じですね。

「先生どうしたらいいでしょう?」というふうに言ったらですね。
「じゃあ、ここに行け!」ってふうに言れまして、
アメリカのロングビーチの学校に行きました。

ここでファンタメンタルフィジックスいわゆる物理学ですね。
そこを勉強していきました。

これ卒業式なんですけども、
そのままアメリカで就職して最初はCOBOLというコンピューターの言語でですね。
人事のパッケージ作ったりしておりました。

そのうち私の鬼本の「鬼」という字が、
実は「おに」と書くんですね。
その“鬼“というのになんか共鳴されましてね。
「おい鬼本!」、人事異動くらうわけです。

「どこに行ったと思います?」、エンジニアだったんですよ。
パッと見た。「鬼本の鬼が鬼だ!人事にぴったりだ。」と
言うのでそれで人事移動になって人事に配属なんです。

ですから、みなさんね人事移動で
いろいろ文句言いたくなることあるでしょう。
だけど、色々その名前で決まっちゃうっていうそういう事もあるので、
そこはみなさんもう割り切っていきましょう。
私も割り切りました。

そういう事をやっていながらですね。
アメリカの会社ではあったものの、
「日本のこの市場を拡大したい」 そういう夢を持っていた。

私の上司と私で、私が事業部長ですね。
西麻布の交差点にですね新しいオフィスを立てて、
その事業2人でスタートした。

10年間でだいたい600人ぐらいの規模になりまして、
こう上手くいったかなというふうに思っていたんですね。

ところが、アメリカの本社が「バタっ」と倒産をしてしまった…。
全く日本はその情報が無くですね、もう真っ青です。
当然日本もシャットダウンしないといけない。
ちょうど私も責任者なので、
日本の整理解雇というものを38歳で始めて修羅場と言うんでしょうか。
胃が痛かったですね。

それで580名の外人たちは「パッ」とアメリカ帰っちゃうんですね。
そのあとだいたい一年ぐらい整理をするためにやりました。
そのあと、ORACLEというデータベースの社に入りまして、
ここで人事部長をやりました。
これは9.11の前の時なんですけども、
このツインタワーの一角でプロジェクトをやっておりました。

たまたま、この9.11の1週間前に
私日本に帰って来なくちゃいけなかったので、帰ってきたんですね。

ところが、そのプロジェクトで、亡くなった部下と、
同僚たちが35人亡くなりました。

そのあと、日本の家族を連れて行ったりと、
そういう辛い思いもありましたれど、
9.11で部下を亡くし同僚を亡くしという経験をして
次にGEキャプタルというところで、
気持ちを新たな気持ちを持ってやろうということにしました。

GEという会社は企業買収するとか、
買った企業を整理したりとか、
パフォーマンスの悪い2割、ボトムの2割という表現しますけど、
そこをリストラするとか、
そういうことを繰り返しながらずっとやってきて、
ある時は“世界第一位“というところまできた会社なんですね。

そういうところでやっぱり自分の立ち位置っていうのは、
人をいかにこう上手く切っていくかというところ。

やっぱり常にそういう仕事なんですね。
もし、この中で今日、もしそういう方がおられたらちょっと
これ以上怖くて言えないんですけども、
やはりそういう気持ちでやっていて、
「これはやっぱり外資はたまらん」という事で思い切って日本の企業に就職しました。

人材育成の現実

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商社、一社とですね。それから大手の通販の会社ですね。
こういったところの当初一部の会社ではあるもののそこで行きますとね。
自分が思っていた以上にもっとひどかった。

それはなにをいうかと言うとやっぱり
この失われた10年、20年続いてきていて
かつそのやっぱりグローバルで戦っていかないといけない。

そこでやっぱりどうやっていこうかというところで、
やっぱりいろんな企業が苦しんでいるんですね。

そうするとやっぱりそこでですね
やっぱり当然事業を縮小しないといけないとか、
やっぱりリストラしないといけないというのが実は外資以上に大変だった。

こういう経験をしてですね。
「これじゃあたまらん」っていうふうに思ったんですけども、
私が人事の責任者として23年間どれだけ
皆さんのその人生を狂わせてしまったのかってのを
考えた時に数字を出してみました。

この中で・整理解雇・役員・リストラあるんですけども
この中で辛かったのが新卒です。

みなさん新卒で入ってくるとだいたい
新卒の研修期間ってありますよね。
だいたい半年間ぐらいやるわけです。

辛いのは何かと言うとですね。半年研修しました、
(研修)やったんですが、実はこの基準に達していません。
いろんな理解度テストしたりだとかいろんな資格を取ったりするわけです。

その基準に達していないという人を
全部その半年間資料をもって親御様の所に説明に行くわけです。

「いや~、あの~、弊社としましてはですね。
ご子息に対してこういう事やっていきました。
ところが残念ながら理解度テストは
これまで20回、30回やっても基準に全然きません。
お父様どうしましょうか?」というお話に行くわけですね。

そうすると「いや~大変失礼しました、
もう息子に娘に辞表を書かせます。」
「そうですか。その方がいいと思います。」というような事を
この新卒のそういうこともやってきました。

こういう人生やっててふとこういう資料を見たんですね!

失業=犯罪なのだろうかという心持ちを経験するも、一声が転機に変える

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要は「失業率」と「犯罪率」ピッタリ同じですね。
それから「自殺率」も比例している。

やっぱり、その人生狂わされた何人かの方に
こういったところに走っちゃたというところがあって、
「これじゃあイカン」という私自身人生リセットしまして、
やっぱり外資だなという事で
今度アメリカのボストンの本社がある外資系ですね。

こちらの方で勤務して、
もっと人を活かしたいそういう気持ちで入ったんですね。

次の日に私は「鬼本やめてくれ。」って言われたんですね。
何故か?ひどいんですよ
一枚のエクセルシートを持ってきて、
ここにパフォーマンスのない人を
500人ぐらいの規模だったんで2割100名ですね。

「ここにリスト書いて」って言ったんですね。
それを私が書けば100人の人生かかっちゃっているわけですよ。
何のために私ここで退職したのかって言うと
もう一度リセットして考えたときに「冗談じゃない!」と

そして「人材は材料じゃない!財産でしょ!」。

いろいろあったんですけどとにかく景気悪いのは分かるとだけど、
「今の人材をどう強みを出して人材を作っていかないといけないのか?」、
それを考えようよっていうふうに言ったんです。

ボトムの2割を切ってそれでもう新たな2割が出来るわけです。
その新たなボトムの2割を切ったとしても、
また新たな2割が出てくるわけです。

しかし、やっぱりね組織には勝てないわけですね。
だからみなさんも無駄な抵抗はしない方がいいと思います。
これで私はクビになりました。

しかしお笑いになりましたけどね、

そこから私の悲劇が実は始まっていくわけなんですけども、
何故かって言うと私4人の家族で2人の娘がいますわ。
それで私はね失業中ですよ。

それで、そんなこと死んでも言えない。
「言えませんよね。言えますか?」
かわいい娘じゃなくてもいいです。かわいい息子でもいいです。
言えないですよね。

そこで考えたのが、そうだ“投資家“ 。
「個人投資家」、ひらめきました。
さぁ退職金、その時副社長やっていたので5,000万円いただきました。

5,000万円で投資家。

何に手を出したかというと先物ですね。
「何ですか、この笑いは。」。「はい、儲かったんですよ。」。
最初パラジウムやりました、金やりました、白金やりました。
「儲かりましたこんなに俺って天才だな。」

さすがに、ロジカルにしかもデータ分析して買えるって言う、
はいこの調子で大豆買いました小豆買いました。
あずきですね。それでとうもろこしやりました。

はい、赤9,000万。「なんって、俺はって感じですね。」

それで9,000万すっちゃったんで貯金を崩して持ち株を売って、
それで1億あった資産がたったの半年でですね200万円です!??
「俺は投資家にもなれん。どないしよう。」
それから二度目の苦しみが始まった。

でも、やはり失業しているので「肩書き欲しい」思いますよね。
肩書き欲しいって、
そこでピーンとひらめいたのが人事コンサルタントです。

「俺って人事やっていたんだよな。」
これで行こうと「そうだ元面倒見てやった社員がいるんでそこに行けばいい仕事くれる!」。
「トントン、なんか仕事くれよ、あるだろ?」とそういう話ですね。
(甘かった)殴られた、
殴られたじゃない蹴られた。痛かったですね
。面倒見てやった社員ですよ。部下。

自分がやっぱり甘いなという事を本当に申し訳ありません。
そういうもんですね。
人事部長って、自分自身で実はやってもですね。
この2年半というのは仕事がなかったんです。

月10万どんどんどんどん貯金が無くなっていく。
でも、やっぱり必死になってやりましたよ。
いろんなベンチャーの成功しているっていう事例聞くために
勉強会行った。商工会議所にも行った。

銀行にも行った。いろんな所行ったけれど
全然やっぱり身にならないですね。

ここで思ったのがですね。「もう誰にもその頼りにならん!」という事です。
それで、三度目の悲劇というところなんですけども、
ここがですねもう投資家もダメ、コンサルもダメ、
もうどうやって生きていったら良いのか?という事を考えますよね。

そこでふと脳裏にパッと浮かぶわけです。
良いこと浮かびませんね。

先ほど失業率と何かが一緒ってありましたよね。
覚えています?
「自殺、…。」まではちょっとイキすぎなんで…。

何ですか?「犯罪。」犯罪ですよね。

これが脳裏に浮かんでこれしかないな!と思ったんです。
もうこれしかない本気ですよ。
銀行ではないここは郵貯なんですけども、
これしか、ようは生きるか死ぬかなんですよ。

そんなの肩書きないし、金もないし、これしかないですね。
そんなこと思っていたんですが

ふとある友人が「ちょっと行ってみないか」というふうに言われたんですね。

そこに行きました。「なんじゃ、これ?」っていう。
そう、ビジネススクールなんですけども、
そこにはですね。
実はこういろんな話があって可能性があるってことを気付かせてくれたんですね。

その可能性って何かって言うと
今日4つしか持ってきてないんだけど、
ひとつが「ダンプリスト」

別にこうダンプカーがいっぱい書いているわけじゃないんですね。
自分の頭の中にある事とかこう気持ちであるとかって言うのを
こうメモでも紙でもどんどんどんどん書き出していく思い切り書き出していく。

それで書いて書いて書きまくる。

私はあの1回300個目指して頑張りました。
これを毎日やっていくと共通してそれに書いているものがあるんですね。
やっぱりこう人事だとか
「海外の経験」だとかそういうものが
自分の強みだとかっていいうのが分かってきて

それでそのスクールでは「お客様に聞いてみよう!」と
これは後でご紹介します。

これはちょっと衝撃的でしたね。
“結果は努力ではなくやっぱりそこは覚悟“というところ。

それから最後に「なんじゃ」と思ったのが
“この守守守守守破離“です。それでオリジナルは“守破離“です。

要は先生の言っている事をきちんと「守って守って守って」、
そこに自分の工夫を加えて最後は
「自分流に変えていこうと…」いうところでこの4つが非常に響きました。

個人と大手企業と比較したときの自分の強みを引き出す

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やはり人事コンサルをやるとなるとですね。
やっぱり相手は大手のコンサルタンと企業です!

実名はちょっとは今日は控えますけども
非常に外資の大手ですね。

そこで、これまでどんどん負けてきました。

それと私は一人ですね。相手はいろんな武器持っています。
まず、マシンガンじゃないんですけども完全な理論武装しています。
優れた司法も持っているし、大きな組織です。
だから同じ武器では戦えないんです。
それで、私なりにやっぱりこう工夫しないといけないわけですね。
やっぱり理論はあるけども、
やっぱりそこはこう熱意を持って情熱持って
パッション持って行こう。

それで、あとそこは手法はあるんだけども、
実際にいろんな経験をしている。その経験がモノを言う。
それから企業としては一人なんでフットワークによると、
私実はもう今朝タイのバンコクから戻って来たばっかりで、
6時に羽田に着いてこっちに来ました。

それでじゃあ、お客様ってどういうこと
言ってきたのかと言うことをいきますと、

「あのグローバル化していきたい」というふうに思っている
お客様は「人事制度」であるとか、
または「人事部」その「事業部」というものを
こう1セットで考えていきたいですね。

それを“パッケージ“と言うわけですけども、
こういうのをやっぱりやってくれるところがいないと、
「分かりました。やりましょう。」。

それからやっぱりこうグローバル化していく上で、
人事部長は「いろんな悩み・不安」をお持ちです。

「ですからもっと密着型で何でも相談できるような・・・」、
「分かりました。やりましょう。」、
それから、あのグローバルなので
世界のどこでもその行く必要があるんですけども、

たとえ「来週、明日と言ってもすぐ行きます」と言う事ですね。

それから一方ではその英語と日本語の
その資料作らないといけないんで、
大手だったら英語作ると200~300万プラスとかねあります。
「そこはもう全部対応しましょう!

それから大手のコンサル。
「出来るコンサル、月に500万円稼ぎますけども、
そこの半額で行きましょう。」
こういったものをやっぱりお客様の声を聞くことによって、

「自分がその思っていないサービスがいろいろ出来るんだな」と
いう事を気付かせてくれました。

それで現在私がグローバルのその人事のコンサルタントとして、
製造業2つですね。

海外展開されておられます。それから商社ですね。
この3社なんですね。

いわゆる、その人事の制度を変えるだけではなくって、
「人事の舞台も変える・事業も変える」という
“パッケージ“なのでやはりこうすべてが「プロジェクト」なんですね。
そうすると、2015年の年末までのプロジェクトなので非常に
「“個人事業主“としても安定的な稼ぎが出来る」というこういう構造にあります。

それで、最後の私の“メッセージ“は、
みなさんやっぱり「良いもの・強いもの」、
自分にやっぱり自分にしか出来ないそういう強みというものを必ずあるわけですね。
そこが見つかった時にその「どうやって覚悟を決めていくか?」
そうする事によって大手では敵わない。

日本にはですね面白いおとぎ話がありますよね?
「え~と何でしたっけ?一寸法師!」
一寸法師 あの“あれ“です。

自分の強み武器となるものをちゃんともてば
「その大きさには関係ない。」というそういう自信につながっていきました。
なので、これからいろんなそういう
大手とこれから戦っていかないといけないと思うんですけども、
そういったときに自分の強みというものをですね。

お客様の声を通してそこをやっぱり伝えてまたそこを
実現していくという事をやっていきたいという
「覚悟」でやっております。

はい、想像以上の未来を以上です。

まとめ

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人生のきっかけは何かとある。

鬼本さんは名前から、厳しい教育をしてほしいということから
人材開発の世界へと入った。

リストラを経験や大きな事故で、不幸なことも経験した。

だが、あきらめず前進した。
人材開発がしっかりと向き合いながらも
人の大切さを痛感していた。

人事として人の人生を狂わせ、それを反省に行動を起こした。
「人財は材料じゃない!財産だ!」と思っていた。
だが、組織には勝てず、クビを経験した。

自らリストラされ失業者にまでなった鬼本さん。
だが、彼は前進しいき、外資の大手コンサルタントと戦うために
「自分の強み・武器」となるものを探しだし
自分の強み武器となるものを自身の経験から見つけ出す。

企業に頼らなくなり、
世界を股にかけたコンサルタントして活躍できている。
これまでのキャリアは何が残るかわからない。
失敗は必然。努力よりも“覚悟“と自分の強みを
大切に行動することが大事であろう。

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