「克己心(こっきしん)〜己に打ち克つ心〜」 千賀晴登
体操は身体だけでなく、心も自由にするって、ご存知ですか?
オリンピックで、話題の体操競技ですが、
多くの方が、体操競技の本当の魅力を知りません。
現役高校生、千賀晴登氏もそんな一人でした。
高校で体操を始めるまでは・・・。
心も身体も自由にしてくれる体操を経験することにより、
彼が学んだ「周りの人に反対されても成功できる秘訣」をお伝えします。
よろしくお願いします。
千賀晴登と申します。
今日皆さんに聞いていただきたい話、それは「克己心」という、己に打ち克ち心を身につける方法です。
皆さん、この中でやりたいことがあるのに、周りに反対されてできなかったという経験がある方、いらっしゃいますか?
いたら手を挙げてください。・・・僕が思っているよりは、少ないですね。皆さん、我が強い感じですね。周りにどんなに反対されようともやっていけるという、強い心を持っていていいなと思います。
心と身体を自由する、このスポーツに自分の一生を捧げたい
僕は体操教室を経営したいと思っています。高校生で体操というスポーツに出会い、このスポーツが大好きになりました。体操というスポーツは、僕の心を自由にしてくれるので、このスポーツに自分の一生を捧げたいと思いました。
でもこのことを周りに言うと「お前にそんなことできるのか」「起業なんて難しいし危ないし、やめておいたほうがいい」「お前の人生なんだから好きにすれば」というように、半ば無関心な態度ををとられたこともあります。それらは本当の応援とは違って、「どうせお前なんかにできるわけがない」といったような蔑んだ意味も含んでいるように聞こえました。でも僕はどんなことを言われようと、絶対にやるつもりです。僕は絶対にやると断言できる自信を持っています。
なぜ僕が断言できる自信を持っているのか、なぜその決心ができたのか。僕が短い人生なりに気づいた、周りから反対されてもできる秘訣についてお話したいと思います。
周りに反対されてもできるという秘訣は、本人ができると思っているから。考えてみれば当たり前です。本人ができないと思っているのに、できるわけがありません。でもやっぱりこれはすごく大事なことです。僕はこの大事なことを体操で学びました。
無謀と勇敢
体操の成長に欠かせないのは、無謀と勇敢をはき違えないことです。
体操というのは、危険なスポーツというイメージを、皆さん、持ってらっしゃると思いますが、本当にその通りで、一歩間違えば腕の骨を折ったり、体をぶつけたり、足をくじいたりというケガが多いスポーツで、本当に危ないです。無謀な挑戦をしてケガをすることもよくあります。
特に体操はそういうケガのイメージが強いので、体操で新しい技に挑戦するとき、未知への挑戦でとても怖いときがあります。例えば、バク転をするにしても、もし今からバク転をして首をケガしたらどうしようとか、地面に手をぶつけて手をケガしたらどうしようとか、そういう恐怖が絶えません。これは体操できる人の話ではなくて、皆さんが何か成し遂げたいことに挑戦したいと思うとき、必ず恐怖はつきまとうと思います。
ではその恐怖をどうやって克服するか。そのために、無謀と勇敢をはき違えないことが大事です。
僕の思う無謀とは、本人ができないと思っているのに、周りの環境などでしなければならない状況に陥って、それをしようとすることです。
逆に勇敢だと思うのは、周りの人間ができないと反対しても、本人ができると信じていることです。本人ができると信じていれば必ずできます。
今まで一度も成功させたことがなかった技が、大会で成功
僕の思う勇敢の例を今から紹介したいと思います。僕の友人は、今まで一度も成功させたことがなかった技を、大会の日に挑戦してなんと成功することができました。それは今年の5月の話です。
僕たちは高校3年生なので、体操部を引退することになりました。なので最後の試合でした。だからどうしても後悔の残らない演技をしたい。高校生最後の演技だから、自分のやりたいことをしたい、という思いがあって、僕の友人はどうしてもやりたい技がありました。そのやりたい技はとても難しい技で、見た感じはそんなに難しくないですが、いざやってみるとすごく難しい技です。それをどうしてもやりたいと思っていましたが、大会当日の直前の練習でもそれを成功させることはできませんでした。
ですが、彼のどうしてもやりたいという気持ちによって、彼は大会の本番でその技を成功することができました。今からその映像をご覧いただきたいと思います。鉄棒の演技ですが、車輪という技をやっていって、そこから半分ひねって逆方向に車輪をするという、そういう体をひねる技ですが、それがなかなか難しいです。
(ビデオ 09:03 – 09:40)
彼の、どうしてもやり遂げたいという熱い思いが、この技を成功に結びつけました。彼の例こそが、僕の思う勇敢な例だと思います。
「できる」と自分が思い込むために
では「できる」と自分が思い込むためにはどうすればいいのか。
それは克己心、己の恐怖に打ち克つ心を持つことです。
克己心を持つために
体操では新しい技に挑戦するとき、当然恐怖がつきまといます。なので、その子が新しい技に挑戦できるような、最良の環境をつくるためにみんなで「絶対できる!」「がんば!」と応援します。また本人が「できない」と思っていても、「1回やってみよう!1回やってみれば、意外とできるものだから」と言ってやってみると、意外とできたりします。本人や周りのみんなが恐れているような事態は意外と起こらないものです。
これは体操以外でもあてはまることだと思います。
皆さんが何かを成し遂げたいと思っているとき、そんなときにおそらく恐怖という感情がつきまとうと思いますが、いざやってみると、その恐怖という感情はたいしたことがないということがわかります。
皆さん、ビジネスマンなので、周りに応援してくれる方がいらっしゃらないような状況のときもあると思います。そういうときは、自分自身に向かって「できる」「次こそやってやる」というような前向きな言葉を言って聞かせます。僕も独り言のように、練習のときに言ってます。はたから見ると変ですが、これが意外と効果があります。
逆に、「できない」「難しい」というような否定的な言葉は絶対言わないようにします。否定的な言葉を言うと、本当にできなかったりします。僕も後輩には「できないなんて言うな」と言い聞かせています。そしてイメージトレーニング。自分が成功している姿を何度も何度も想像して、失敗のイメージを徹底的に頭の中から排除することによって、夢を成し遂げることができたりします。これは本当にバカにならないような力で、内村航平選手も演技の直前までずっとイメージトレーニングをやっています。
体操以外でもそうです。何かをやりたいと思っているとき、成功した自分の姿を想像してみると、ものすごく力が湧いてくると思いませんか。
これらのイメージトレーニングや、みんなで鼓舞しあったり、自分自身に「できる」と言い聞かせることによって、本人が「できる」と思うことができます。そうすると、例え周りにどんなに反対されてもできるようになります。あなたは勇敢になれるのです。
人の潜在能力を開花して、心を自由にする体操
これらの経験を通して僕が成し遂げたいこと。それが体操教室です。
僕が創りたい体操教室、それは人の潜在能力を開花して、心を自由にする体操です。体操はスポーツですが、体だけでなく心も自由にさせるスポーツにしたいと思っています。僕は人は本来物事を成し遂げる力を持っていると信じています。その力にリミッターをかけているのが、恐怖心といったような心だと思います。ですので、その恐怖心、心のリミッターをはずせる体操教室を創りたいと思っています。
なぜ、心を自由にする体操教室を創りたいのか。
その話は、僕が生まれた頃にさかのぼります。僕の両親の話をします。僕が子どもの頃、姉と僕に、小さい頃、お母さんが絵本を読み聞かせてくれて、『キャベツおじさんとブタヤマくん』という本の名前も鮮明に思い出せるぐらい、はっきりとそのときの記憶もありますが、それはたいした話ではありませんが、僕にはそういう記憶があって、お母さんのことを大好きだと思っていました。
お父さんも同様で、よくいとこと一緒に近所の科学館に連れて行ってもらって、楽しかったという記憶が残っています。お父さんのこともお母さんのことも好きでした。
でも中学生になり、成長するにつれて、僕はあることに気がつきました。僕のお父さんとお母さんは、人と接するのが苦手なんだなぁ、ということです。人と接することが苦手な両親のもとで育った僕も内気な性格で、人と接するのが苦手な人間になってしまいました。
他人と比較して劣等感を感じている自分。いつも孤独だと思っていました。中学校の頃は、人間関係でもよく悩みました。僕のお父さんとお母さんが内気な性格だから、僕もこんなふうになった、こんな親のもとに生まれた運命をものすごく憎みました。あれだけ大好きだったお父さんもお母さんも嫌いになってしまいました。そして僕は周りの子から「どんくさい」「バカだ」「生きる価値のない男だ」といわれて、学校でショックを受けていました。
その反動である日、お母さんにこんなことを言ってしまいました。「僕がバカになったのは、お母さんがバカだからだ。お母さんのバカが僕にうつったんだ」。僕はそんなことを言ってしまいました。本当にお母さんは辛かったでしょう。自分が今まで育ててきた息子に、そんなことを言われて。
本当に申し訳ないと今では思っています。僕はこのように、中学校の頃は自分のことが大嫌いな人間でした。
僕にはスポーツはできないとあきらめていたが・・
こんな僕に転機が訪れます。
高校生になったとき、体操というスポーツに出会いました。体操は個人の種目なので、自分が失敗しても誰かに迷惑をかけることがなく、自分の好きなようにできるスポーツでした。だから自分のやりたいことができるスポーツでした。僕は中学の頃、テニスをやっていましたが、テニスをしても失敗して周りに迷惑をかけることが嫌だったので、僕はスポーツはできないとあきらめていました。
でも体操は誰かと比較することのない、個人のスポーツなので、自分と向き合うことができました。だから僕は、体操というスポーツが大好きになっていきました。また体操部のみんなと出会うことができて、孤独だと思っていた自分の居場所も見つけることができました。
僕は体操を通して、自分の人生を幸せにすることができ、内気だった自分を脱ぎ捨て変わることができました。僕は体操と出会うことによって、力の開花をすることができました。体操部のみんなには本当に感謝しています。
僕が体操をする理由は、僕を変えてくれたスポーツをより多くの人に知ってもらいたい、だから体操を広めたい、だから体操教室を創りたいと思っています。
自分の人間関係で精一杯で、情けない自分
でも僕が体操教室を世に広めたいと思っている理由が、もう一つあります。それを聞いてください。
こちらは僕の姉です。どこにでもいるごく普通の女の子に見えますよね。僕もそう思っています。この姉は、僕にとって大切な、かけがえのない一人の女の子です。そんな僕の姉も、僕と同じように内気な性格でした。僕の姉は、小学校5年生のときいじめを受けました。小学校5年生というと学校の生活がすべて、学校の人間関係が人生のすべてです。そんなところでいじめを受けると、自分の居場所がなくなって辛いです。そんな彼女は、人間を信じることができない性格になってしまいました。
姉とは2歳差で、姉が中学3年生のとき僕が中学1年生でした。僕が中学生になったとき、先輩から聞いた言葉は、「お前の姉ちゃん、みんなに嫌われてるよ」というものでした。僕はそれを聞いたとき本当にショックでした。でもどうすることもできませんでした。僕も自分の人間関係で精一杯でしたから。自分が情けないと思っていました。
彼女が高校生になったとき、事件は起こりました。彼女は高校でも友達ができず、人間関係の辛さからある精神疾患を患ってしまいました。それが統合失調症という病気です。統合失調症という病気は、自分のことをバカにする幻聴が聞こえてきたり、自分の自殺を促す幻聴が聞こえてきたりします。当然、人のことを信じることもできなくなります。そして彼女は自分の居場所がないと泣き叫んでいました。
そんな彼女を救いたいと思いました。だから僕は姉に「姉ちゃん、僕は姉ちゃんのことを愛してるよ。だから僕のことを信じてほしい」と言いました。でも姉は、僕が姉を嫌っているという妄想を抱いていたので、僕のことを信じることができませんでした。姉は「そんなの嘘だ!」と言いました。またしても僕は彼女を救うことができませんでした。本当に情けないと思いました。
でも僕は彼女と違って、体操に出会うことができました。自分の人生の中での大きな転機を得ることができました。そして僕は内気な自分を捨てることができたのですが、姉には僕の体操にあたるような人生の転機はありませんでした。彼女は内気で殻に閉じこもってしまいました。
彼女はもう一人の自分
僕がもし体操に出会っていなければ、僕もそうなっていたかもしれない、彼女はもう一人の自分なんだ、と僕は思いました。僕がこの手で姉を救ってやるんだと決意しました。僕の姉のように、自分に自信がないと思っている人とか、スポーツができないと思っている人を救いたい。だから僕は体操教室を創りたいと思っています。そうすることが、親にできる最大の恩返しであり、僕の姉を救うことでもあるのです。
姉のように自分が嫌いで苦しんでいる人を、僕は救いたい。
悩んでいる人を助けたい、幸せにしたい、それが僕の生まれてきた意味だと思っています。
やりたいことがあるのに、周りに反対されてできない人、できないと思っている人。自分のことを信じてあげてください。あなたの夢は必ず実現します。
幸せな未来をあなたに。
ありがとうございました。