感動とワクワクで生きよう!~人生の終わりに後悔しない生き方~
人生つまらない、楽しいことが何もない、辛い。
そんな風に悩んだ経験はありませんか?
人生一度きりです。楽しまなくちゃもったいない!
たくさんの人に感動とワクワク体験を届ける、”感動クリエイター”の金田氏に「感動とワクワクで生きよう!~人生の終わりに後悔しない生き方~」というタイトルでお話して頂きます。
つまらない日々を過ごしている人へ
皆さんは生きてて「なんか人生つまんないな」と思ったことはありませんか。
例えば毎月の支払いの為だけに仕事をしていたり、会社と家の往復だけの毎日で、大して楽しいことがないと人生つまらなく感じてしまいますよね。
また辛いことばかりで「なんか人生嫌になっちゃう」と思ったことはありませんか。
そして「人生こんなもんだからしょうがない」と半分諦めていませんか。
私も昔はそのように思っていて、つまらないと思う日々を過ごしていました。
しかし今は”感動クリエイター”として様々なプロジェクトを考え、毎日ワクワクと感動で生きています。
感動クリエイターのコンセプトは、お客様があくまでも主役だということ。そしてお客様の特別な日の特別な空間と場所を提供し、それをカスタマイズして感動体験をして頂くことが目的です。
今日は私は”感動クリエイター”として「感動と共に生きるにはどうすればいいか」ということについてお話します。
感動と共に生きるために必要な3つのこと
私は感動と共に生きるには三つの要素が必要だと思っています。
一つ目は自分のやりたいことをする。
二つ目は自分の気持ちに正直になる。
三つ目は感動の気持ちを他者とシェアする。
なぜ私がこの三つの要素が重要だと思ったのかというと、私がニューヨークに住んでいたときに出会った、ある三人の方に教えてもらったのです。
一人は男性の方でアメリカで出版した本が大ヒットし、「オプラ・ウィンフリー・ショー」という日本でいえば「徹子の部屋」のようなトーク番組に出演経験のある有名な方です。
そしてもう一人は女性の方で、女優として映画やコマーシャルに出演し、この方もアメリカでとても活躍されていた方です。
そんな彼らがいつも私に言っていたことは、
「夢は諦めてはいけない。希望を捨ててはいけない。」
ということで、私はその話を聞くたびに感動していました。
あともう一人は日本人の女性で、この方はニューヨークに貢献したいという理由から、ニューヨークでスピリチャリストになることを決意し活動を始めていました。
最初はニューヨークだけで小さく活動していましたが、少しづつ活動範囲を広げ、今では日本でも公演するようになりました。
彼女は24時間、寝るとき以外はほとんど仕事のことを考えていたような人で、すごく情熱をもって仕事をしていました。そのような情熱があったから人の心を動かし、その結果大きなビジネスができるようになったんだと思います。
結論としては、私はやはり自分の心に正直であり、自分のやりたいことをやる。情熱を持って何かをすればその情熱が人を動かし、感動の渦を作るんだと思います。
そして私の真志命は「人々に感動とワクワクを与える」ということです。
私は一人一人が笑顔で、感動とワクワクで生きている社会が普通だと思っています。
そして感動とワクワクをシェアすることによって、それがより大きくなり、素晴らしいことができると思っています。
感動クリエイターになろうと思った理由
私はごく平凡な家庭に生まれました。
ただ父と母はいつもお金ことばかり心配しており、特に母は質素で平凡に生きることが理想だと考えていました。
そのような両親の元で育った私は、
「夢なんか見てはいけない」
「目立ったり面白い生き方をしてはいけないんだ」
という考えで生きていたのです。
しかし心の片隅では
「なんかつまんないな」
「なんのために生まれてきたのかな」
「無難に生きるのが幸せなのかな」
という想いもあり、自分の心の中にいつも疑問がありました。
そんな中テレビで見たアメリカの映像に衝撃を受け、いつしか憧れるようになりました。
アメリカの中でも特にニューヨークの摩天楼、あとカリフォルニアのパームツリーは、私にとって自由の象徴、夢の象徴であり特別な場所になったのです。
ただその当時私はまだ幼くアメリカに行く方法も分からない、そして幼い私にできることは何もなく、憧れだけで終わってしまいました。
そしてそのまま月日が流れ、中学を卒業し私は商業高校に行くことになりました。
理由は三つあり、
一つは「女の子は勉強しなくていいから」と母が私に言ったこと。
もう一つは私自身勉強が嫌いで、特に目的もなかったこと。
もう一つはその高校が公立だったので、金銭的に親に迷惑かけずに済むこと。
この三つが商業高校を選んだ大きな理由でした。
特別な目的や何か目標があるわけではなかったので、在学中もとくにやりたいことは見つからず、卒業後は就職することになりました。そして就職後そのまま三年間は働いていたのですが、三年も経つとマンネリ化し、新鮮味を感じられなくなり、だんだんと幼い頃の夢を思い出すようになりました。
忘れかけてた夢は、私にとっては結局忘れられなかった夢だったのです。
やっぱり私はアメリカに行きたいんだと思い、アメリカのニューヨークに行くことを決意しました。
このことを両親に話すと、父はあまり何も言いませんでしたが、母はどちらかというと賛成ではなく、出発する前日に「こんなはずじゃなかった、もっと普通に生きてほしかったのに」と私に言いました。
でも私はニューヨークに行って本当に幸せでした。
あの空気やオーラが私に合っていて、毎日が夢のように生きていました。もちろん良いことばかりではありませんでしたが、約20年もの間ニューヨークに住み、この経験は私の人生の宝となりました。そしてニューヨークでの感動体験をもとに、私はエンターテイメント型のビジネスをしたいと思うようになったのです。
感動クリエイターとしてやっていきたい4つのこと
”感動クリエイター”として、やっていきたい四つのことがあります。
一つ目は「エンターテイメント型レストラン」
二つ目は「炎の祭典」
三つ目は「感動旅行体験」
四つ目は「感動スピーカーになること」
まず一つ目の「エンターテイメント型レストラン」では冒頭でもお伝えしたように、あくまでも主役はお客様で、お客様の特別な日の特別な空間と場所を提供し、感動体験をして頂きます。ご要望により色々カスタマイズしていきたいと思っています。
二つ目の「炎の祭典」ですが、炎は心の叫びや情熱を表現できると思っています。なのでお客様の気持ちを炎で表現し、テーマに合わせてこれもカスタマイズしてやっていきたいと思っています。
三つ目の「感動旅行体験」はただの普通のツアーではありません。例えば旅行先にニューヨークを選んだ場合、ツアーの間にニューヨークで今も頑張って生きている人たちに実際に会い、話を聞いて感動体験をして頂くなど、旅行先で何か感動体験をして頂きたいと思います。
四つ目の「感動スピーカーになる」ですが、これは私自身の話をして、皆さまと感動をシェアしたいと思います。
生きててよかったと思える人生を。
私の両親はもう他界してしまいましたが、父はよく海外や日本国内を旅行に行くような天真爛漫な人で、母は基本的には厳しいですが、とても心の優しい人でした。
そんな二人を生前ニューヨークに呼び寄せたことがあったのですが、そのときいつも冷静だった母が子供のようにはしゃぎ、とても楽しそうにしていました。よほど楽しかったのか、母は日本に帰った後、チラシの裏に英語のスペルを書いて勉強していたそうです。
冷静で普段あまりはしゃがないような母でさえ感動体験があったんだなと思いました。
人生は一度きりです。
私は死ぬ前に「ああ生きててよかったな」と思える人生を生きていきたいです。
そうすることが両親への一番の供養になると思っています。環境が許されるのであれば、両親もきっとワクワクと感動で充実した人生を生きたかったでしょう。
私は父と母の想いをひっくるめて、このビジネスを成功させたいと思っています。
そして感動とワクワクで生きていきたいけど、どうしたらいいか分からないという方たちは、私のビジネスに関わって頂くことにより、何か人生を楽しく生きるためのヒントやきっかけを見つけてもらえたら幸いです。
楽しく生きる未来をあなたに。