「南極マラソンを完走した男の新たな挑戦」極地ランナー赤坂剛史氏
「極地ランナー」赤坂剛史氏
学生時代は、体重が80kgもあり体育の成績は「2」、
極度の運動音痴で、性格も内気で引っ込み思案、そのうえ、コミニケーションも苦手だったということもあり
当時は、運動とまるで縁がなく、人前に出て話をするのが苦手だったという。
しかしそんな彼がある知人から 「マラソンに出ない?」
といわれたその「一言」が人生の転機となり、マラソンから挑戦し、
さらに世界で最も過酷といわれるサハラマラソン、ついには南極マラソンまでも見事完走する。
その経験から
「あきらめなければゴールできる」
というあきらめないことの大事さを体感する。
「南極マラソンを完走した男の新たな挑戦」赤坂剛史氏の動画は、こちらです。
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過去と現在の私
はい、皆さんこんにちは。
今僕ここに立っていますね、こんな想像した未来はありませんでした。
さっき話がありましたけど、僕はこんな人間じゃなかったんです。
こんな人前で立てる人間じゃなかったと思います。
高校時代は、体育の成績が2でした。体重80㎏超えていました。
はい、こんな僕は80㎏超えていて体育の成績が2、倒立も出来ません。
運動会で逆立ちが出来ないのも僕だけでした。
さらに、引っ込み思案で人前に出るのが苦手ちょっとイジメにもあった事もあります。
自分の意見をあまり主張出来ない、
そんな僕は理系人間。黙々と自分で勉強するのが大好き研究大好き。
そんな引っ込み思案で内気、人と話ができないコミニケーションが
苦手な私がなんと砂漠を走りました。
さらにイベントのプロデューサーそんな立場になる事が出来ました。
このイベントは7日間250km。
後で申し上げますこのイベント。さらに人前に出るのが怖い
ドキドキする緊張するそんな私だったんですが
テレビにも出ましたし数々の新聞にも取り上げていただくことが出来ました。
人生を変えた一言とマラソン
皆さんにもそれぞれ自分のターニングポイントで出てきた言葉あると思います。
想像してみて下さい。
私の人生を変えた言葉はコレです
「マラソンに出ない?」
この一言で僕の人生が変わったんです。
“ハイ”か”Yes”で答えました。
返事は0.2秒。
これで僕安全領域から一歩前に出ることが出来たんです。
でも、フルマラソン走って2度とやるものかと思いました。
足痛いんですよ。もうしんどくて・・・。
そしたら、また次ね、神の声が来るんです。
友達が。
“ハイ”か”Yes”で返事は当然しました。
また、出ました100kmマラソン!
これもね足痛くてもうねこれも二度と出るものかと思いました。
そしたら、また誘うんです神の声が。
もう皆さん分かりますよね?
返事は”ハイ”か”Yes”です!出ちゃいました。
こんなですよ!こんなパンフレット!
世界で最も過酷と言われるサハラマラソン出ました。
7日間250kmのアドベンチャーです。
大砂丘地帯野中走ってきます。
250kmってどのくらいの距離か?
東京から新潟、福島さらに名古屋ですよ。
毎日フルマラソン!7日間、こういう大会です。
さらに食料や寝袋全部背負います。
どっかに旅館があるわけでもない、まぁ、砂漠に旅館があったら怖いですけどね。
こんなレースです。
夜はテント、お風呂はありません。シャワーもありません。
日に日に体が臭くなります。
日中50度超えるんです気持ち悪いぐらい汗がだらだら出ます。
そんな中走っていくとこういう骨が出てくるんです。
自分もこうなりたくないですよね。
やばい・・・。
さらに7日間走っていると足がどんどん皮ができてきて、
足の爪10枚ありますよね?6枚はがれました!
そんなね苦しみながら走ったんです。
でもねこう苦しみながら走った環境。
“あきらめなければゴール出来る”。
これはね僕はすごく体に染みこみました。
そして、また次出ちゃうんですね。
サハラマラソンでもういいやと思ったんでですが、
これもねまた神の声があるんです、出ました。
ここは、アタカマ砂漠。国はチリです、
南米の。36年間雨が6回しか降ったことがない。
それぐらい乾燥しているんです。
標高3500m富士山で言うと9号目になります。
空気が薄そうだな・・・。
地表の64%しかない普通に走っているだけで、
息が「ハァハァハァ」、そんな環境です。
そんな環境でも僕はあきらめないで足を動かせ続けました。
頑張った、あきらめなければゴール出来るどんな環境であっても学びました。
そしたらまた、神の声があるわけです。
これはゴビ砂漠ですが、これに出たのには理由がありました。
南極マラソン!南極走るんです。おかしくないですか?おかしいですよね!
南極マラソンに出るためには2つ以上砂漠を完走しなければいけませんでした。
なのでゴビ砂漠出ました。ここアップダウンが激しいんです!
標高2500m 、2000m。高山病です。
さらに-100m、そんなところにまで行かないといけないんです。
これもかなりしんどかった苦しかったです。
しかし、あきらめなければゴール出来る。
南極マラソン無事出場権利を獲得しました。
そして、いざ南極となるんですが、実は私サラリーマンでした。
南極行くのに何日休みが必要になると思いますか?
それも夏休みやお盆休みじゃないです。
普通の平日20日間です!
連続で20日間、サハラマラソンやアタカママラソンまではまだね
会社の上司は「面白い奴だな行って来いよハハハ。」って言ってくれました。
でも、南極まで行くとそうじゃないんですね。
「いつまでやるんだ、いい加減にしろ。」へこみました。
僕ね弱いんですもう権力に弱いんです、
上司とかね弱いんです肩書きに。
どうしよう困ったなぁ…。
もう、サラリーマンって夢を叶えるのって
退職した後なのかなって真剣に悩みました。
でも、砂漠走ってきて僕の中にこれが染みついていたんです。
“あきらめなければゴールは出来る”
そうか思いを伝えるのが弱かったんだ知恵を働かせ、
何しよう、コレしかない!
“土下座です。”
単純なんですが、この思いを上司は受け止めてくれたんです。
「お前がそこまでやるんなら、俺がなんとかしてやる。」って
言ってくださいました。
とっても嬉しかった!
この上司の為に、仕事絶対上手くさせよう何とかしよう
上司出世させようそう思って頑張ってきました。
そして、念願の南極に行ったわけです。
南極マラソン完走とかけがえのない仲間
南極大陸、極寒です。寒いです。
南極は本当に寒いですね。
砂漠とは真逆な所で色んな装備をして走りました。
南極はですね極寒で寒い、それだけじゃありません。
南極大陸の上には氷床と言って氷が上に乗っています。
なので、コース走っていて、クレバス!
氷の割れ目が隠れている可能性があります。
落っこちたら死んじゃうんです。
そんな、恐怖の中走らなければいけませんでした。
さらに南極は天気が変わりやすい。
視界が真っ白!ホワイトアウト。
遭難しそうにもなりました。
さらに南極は太陽が低いです、
白夜!太陽が低くてどうなるかサングラスの横から光が
入ってきて失明する可能性があるんです。
そういう危険性、オゾンホールにありますね、
そういったものがあります。
そんな中でも完走することが出来ました。
最後のゴールシーンなんですけど夢を実現する。
色んな課題がありました。頑張った。
南極はこのように完走したわけですけども、
“あきらめなければゴール出来る”。
さらにかけがえのない仲間も手にしました。
サラリーマンで頑張った!ご褒美もいただきました。
すごい人達の同じ所で舞台に立ちました。
新たな夢と新たな挑戦
そして、挑戦してきて次は貢献活動しよう。
3.11が起きました。東日本大震災、ここで活動しました。
そしたら船も家も流された人達が夢を語るんです。
船があれば何とか出来るんだ、船が欲しい、
“夢って大事だなぁ…。”と思いました。
よし!じゃあ、次の僕の夢はランナーから主催者になろう!
挑戦する人が増えれば元気になる!
日本どんどん良くしたいなぁ。
そう思ったときに御縁があって石川県に行きました。
場所は白山市。
この白山という山ですね。
日本三名山と言われている山です。
ここで何とか出来ないかなって…。
7日間250kmどうしようって、白山市の市長にプレゼンしました。
これね、一番左の女性も、もうおせっかいなんですけどね、いろいろ紹介してくれるんです、
「誰々と会うと良いよ。」「誰々と会うと良いよ。」
僕は”ハイ”か”Yes”!
いろんな人に会ったら市長に会うことが出来たんです。
プレゼンしました。 すごく緊張しました。
権力に弱いんで、ドキドキですね。
そしたらです、市長お会いしてくれて、
なんと市役所の人達がコースを考えてくれたんです。
「この道良いよ、あの道駄目だよ」さらにですね、
全然縁もゆかりもなかった白山市石川県だったんですけども、
応援してくれる人が出てきました。
始めは8人。実行委員会作りました。
でも、僕コミニケーション苦手なので、一番角にいないんですよね。存在が薄いんですけど。
皆がね、いろいろ「こうすればいいよ」、「あぁすればいいよ」、
「あ、そうかそうか。」なんて。
さらにイベントをやる。山を走りたい。こういうね、
やっぱり権力に頭を下げに行かないといけないのね。行きました。
さらに土地を持っている人にもいっぱい挨拶しに行かないといけない。
白山、零山ですね。神社の持ち物なんです。
宮司さんにも挨拶に行きました。ドキドキしました。
でもね応援してくれました。
あと、地元の人たち。里山、山禄(さんろく)
いろんな人が山の権利を持っています。
地区長会。怖いですよ。
もう、皆ねこんな人達がいるんです。
土建屋さんだったり、まぁ土建屋さんに失礼ですけどね…。
そういう人達が怖くて、でも皆懐が深くて優しかったです。
さらに安全対策よく言われました。
「山走るの?7日間も安全対策どうするんだよ、無理だよそんなの。」
警察・消防・病院、皆が協力してくれました。なんとかなります。
感動のゴールと仲間
こうしてプレ大会を昨年やりましていよいよ本大会7日間250km。
やっぱりね、山が出てくるんです。壁が出てきます。
“環境保護団体”
聞きたくない言葉でした。
もうね。なかなか分かってくれなくてね悩みました。
会っても、”Yes”って言ってくれないんです。
“ハイ”か”Yes”ですぐ言ってくれる人だったら良かったんですけど…。
そしたらね。僕悩んでたんですけど、いやよかったじゃないって
言ってくれて気が楽になりました。
さらに応援してくれる仲間が増えたんです。
その仲間が、じゃあ「テレビにいってCMしてあげるよ。」
宣伝してくれました。
すごく嬉しかった。
やっぱり、”あきらめなかったらゴール出来るんだなぁ”。
新聞も取り上げてくれました、人前に出るのが怖くて臆病で
恥ずかしがりやの私が色んな新聞に取り上げて頂きました。
そしていよいよ大会です。
7日間250km。8月の下旬7日間です。
食料を全部持って行ってテント泊。
海外からも含めて37人参加しました。去年に比べて2倍以上の伸びを達成しました。
そしていざ、大会です。神社からスタート。
零山ですからねさらに白山市長も応援に駆けつけてきてくれました。
走るコース。山の中です。登山路。
さらに2000m以上森林限界を超える所まで行きました。
雨も降りました。
危ない中、一生懸命スタッフで安全を確保して選手たちの命を助けていきました。
皆選手たちは限界にチャレンジしました。
夜はテント泊。こういう経験を繰り返すと選手達は
他の選手の応援を皆で助けてくれるんです。
そして素晴らしい景色を皆で見ることが出来たんです。
朝は御来光。感動の日の出でした。
8月に大会やったんですが、8月中初めてこんな日の出が出た。
白山の神様も喜んでくれました。
選手達は下の神社からスタートして山の上の神社、奥宮で登拝。
さらに地元を盛り上げたい地元の人達も応援に来て
伝統芸能を披露してくれました。
神社だけでなくお寺の住職さんも白山について語ってくれました。
我々も選手たちをおもてなし。さらに完走メダルも皆で作りました。
そして、7日間感動のゴールが待っていました。
選手たちみんな抱き合って涙を流して
最後の一人がゴールをするまでみんな帰らずに待っててくれたんです。
家族の人も応援に来てくれました。
そして選手もスタッフもかけがえのない仲間になりました。
選手たちからはものすごいありがたい声をいただきました。
「スタッフ最高。」すごく嬉しかった。
さらに「ずっと続けてほしい来年も再来年もずっとやって、
日本一のイベントにしてください。」
そんなふうに言ってくれるんです。
さらに 「また、この白山来ます。皆に会いに行きます。観光しに来ます。」
地域の活性に少しでも役立てればなと思った。
ほんの少しの人数かもしれないけど微力ながら役だったと思います。
あきらめない3つのポイント
そしたらやっぱりこれが来ました、常に壁が出てくるんです。
新聞に載ったんです。文章読めばすごく良いこと書いてあるんです。
環境に配虚して大会やったので、
新聞の方もキャッチコピー大事ですね。
これだけ見ると白山は悪者に見えるんです。
そしたら、なんと想像出来ないことが起こるんです。
なんと、選手がですね。
「僕たちが代弁します。”自然を破壊してない!”逆にゴミ拾いして走った。
この大会は悪くない。そういうのを代弁する。」って言ってくれました。
テレビに出た時、白山ジョートレールTシャツを着てくれたりとか、
他の大会の表彰式でも白山ジョートレールのTシャツを着てくれました。
さらにフェイスブック。どんどん挙げてくれました。
全然お願いしていないです。
皆が白山ジョートレール大好き、また会いたい、またやりたい、
このような大会をして大会幕を閉じました。
ここであきらめないで私はゴールに行きました。
あきらめない3つのポイント。
まとめました。
まずはなんと言っても一歩踏み出す!
ここから全てが始まります。
引っ込み思案でコミニケーションが苦手で、
権力にも弱いし、強硬派にも弱い。
そんな私が一歩踏み出してドアに進んで行きました。
さらに、過程を楽しむ。
ゴールばっかりイメージしたら途中途中が辛くてしょうがないんです。
マラソンは特に7日間ゴールを目指す。
毎日毎日。一歩一歩が楽しいからゴールまで行けるんです。
最後に感謝です。
アスリートは感謝します。常にポジティブシンキング。
何故か、ネガティブになると頭から体を萎縮させる、
保守的になるホルモンが出てくるんです。
アスリートにとっては体が動かなくなってしまうので
ネガティブな感情はご法度、ポジティブにする秘訣。感謝です。
誰に今感謝できるかな、何に感謝できるかな、常に問いかけます、
ポジティブシンキングですね。
それで最後にです、
かけがえのない仲間を手にしました、
ボランティア200名以上。仲間とは何でしょうか?
頑張っていると仲間が出来るんです。
自分が道に迷うと仲間がいるんです。出会えるんです。
道を教えてくれるんです。つまり仲間というのは共に
夢を叶えるゴールまで目指す応援団です。
競うのではなく共に走る、共に進むこれが仲間です。
挑戦する人が増えれば、日本は元気になる。
この信念をもって活動をこれからも続けていきたいなと思っております。
東北被災地でもこの大会やりたいな。私の地元神奈川県。
ここでも何か出来ないかな。
さらに、フィリピン。去年の11月台風で大変な大災害が起こりました。
私と妻が今ここで活動しているんですが、
私もここでなんとか元気にしたいな、ここの人達、考えています。
やり方分かりません。
誰に話していいか分からない。
だけど、最後に皆さんにお伝えしてきた言葉。
「あきらめなければゴール出来る。」
皆さん想像以上の未来を!
ありがとうございました。
まとめ
“マラソン出ない?”の一言が人生を変えました
。”ハイ”か”Yes”。どちらも肯定な言葉、
ポジティブに受け入れ前進しました。
大きな壁もたくさんありました。
頑張る人に仲間は集まります。道に迷うと仲間は道を示します。
夢の力は偉大であり、その力はに勝るものはないでしょう。
夢があれば挑戦しよう。
たとえ、環境が難しいとされても行動してみるといいでしょう。
諦めなければ、ゴールできます。自分を信じて進みましょう。
行動すれば、ゴールは生まれます。
赤坂剛史 氏
金沢工業大学 工学部 航空システム工学科 講師・博士(工学)
神奈川県海老名高校出身
略歴
東海大学工学部航空宇宙学科卒。
東海大学大学院工学研究科航空宇宙学専攻博士課程修了。
川田工業(株)にて小型無人飛行体・無人ヘリコプタの開発、ヘリコプタ低騒音化研究に従事。
2011年より金沢工業大学講師。
サラリーマン時代、世界で最も過酷なサハラマラソンや標高3000mを越えるアタカマ砂漠マラソン、
さらには、南極マラソンなど、衣食住のすべてを背負って走る極地マラソン(7日間245キロ)に多数挑戦しており、
「極地ランナー」としてTVや雑誌など多数出演している。
現在は研究のかたわら、各地で講演活動通して日本を元気にしようと貢献活動に取り組んでいる。