後の世に残すもの
こんにちは。
今日も、記事を見ていただき、
ありがとうございます。
立志財団メンバー、沖縄在住ライターの
森川応樹です。
8月は、私たち日本人は、
忘れてはならない大切なことを、
再確認する時期です。
さて、今回は、
8月に思うことから「後の世に残すもの」ついて、お届けます。
お役に立ちましたら、幸いです。
あまり知られていないことですが、
イスラム教のお墓が1つ存在する
日本でも珍しいお寺が
京都にあります。
そのお墓に眠る彼の名は、
サイド・オマールさん。
マレーシア人のイスラム教徒で、
享年19歳の若さでした。
オマールさんが眠るのは「圓光寺」です。
仏教式の墓地の中に、
イスラム教の墓石が存在するなんて、
ふつうは、ありえない話です。
では、
なぜ、それが、なされたのでしょうか?
実はそこには、
後の世を想う彼の志があったのです。
勉強をするために来た日本で、親日家の留学生を迎えたものは・・・
オマールさんは、昭和18年6月に、
マレーシアからの留学生として、
日本に来日されました。
留学のきっかけは、日本からの要請ではありましたが、
マレーシアは、実は、色々な歴史の経緯から、親日派でした。
マレーシアからの留学生が日本で学ぶことにより、
将来、両国の友好の懸け橋になるであろうという期待は、
大きかったようです。
ですから、この留学生は、
母国の期待に応えられる人財でなければなりません。
白羽の矢がたった一人が
名門の一族に生まれ育ち、
恵まれた環境に生まれたオマールさん。
優れた資質を備えていたオマールさんの留学は、
国の期待を一身に担ってのものでした。
そんな明るい未来を夢見て来日したオマールさんを迎えたのは、
留学先の広島大学で、8月6日に、投下された原爆でした。
広島で被爆の犠牲者となったオマールさんが京都の「圓光寺」で永眠する理由とは?
被爆したオマールさん自身も、重症だったにもかかわらず、
より重い被爆者の救護にあたっていました。
1948年の8月下旬、オマールさんは、
母国マレーシアへ帰国することに。
東京へ移動の途中、症状が著しく悪化し、
療養のため、京都で途中下車することになりました。
京大病院に運ばれましたが、それから間もない9月3日、
搬送先の京大病院にて、残念ながらお亡くなりになりました。
享年19歳と言われます。
最初、オマールさん亡骸が埋葬されたのは、
当時の市営墓地だったとされる南禅寺大日山墓地。
今でいう無縁仏のように、朽ち草に埋もれた墓地に
埋葬されていました。
その荒れよう、朽ちようは、
後日、オマールさんのご遺族が母国から
亡骸を探しに来た時に、
結局探しきれずに、泣く泣く帰国したほどだそうです。
月日が流れ、このオマールさんのことが、
ある週刊誌に取り上げられました。
オマールさんの行動に心を打たれたのが
「平八茶屋」のご主人、園部英文さんと、
弟の園部健吉さんのご兄弟。
「志半ばで倒れた異国の青年の無念を想うと
せめてお墓くらいは、ちゃんとしたお墓を用意しないと
オマールさんと、オマールさんに期待を寄せた
すべてのマレーシア人の方に申し訳ない」
と、立ち上がりました。
また、そのことを知り、
園部さんご兄弟に賛同し、ともに立ち上がった善意ある方々は、
決して少なくありませんでした。
お互いが働きかけて、
またマレーシアのご遺族に許しと理解を得て、
母国にお返しするのではなく、
圓光寺の墓地の一角に、
オマールさんのお墓をうつしました。
想像してみてください。その悲報を届ける役割をあなたが担うことになったとしたら。
「母を遠くはなれてあれば
南にながるる星の
かなしかりけり」
これは、
オマールさんが亡くなる少し前に詠んだものと言われます。
電話もネットもない時代に、
言葉も宗教も違う異国の地で生活をするということは、
本当の心情を詠むと、結局は、
このようなものだったのでしょう。
それでも、
母国の将来のために、遠く日本で学びたいという
志があり、留学を決意しました。
そうまでして、この日本に来てくれた
オマールさんの悲報を、母国のご家族は、
どのように聞いたのでしょうか?
想像してみてください。
その悲報を届ける役割を
あなたが担うことになったとしたら。
オマールさんの墓碑・墓石が伝えてくれるもの
オマールさんのお墓は、
今の私たちに、
平和の大切さをはじめ
多くのものを伝えてくれます。
また、ご遺族の悲しみや無念も伝えてくれます。
そして、何よりオマールさんが
果しえなかった志も伝えてくれます。
国も言葉も文化も違う、
未来の日本に暮らす私たちをして、
「国と国の戦争をなくし、
友好な関係を築き、
平和な世界を創らなければならない」
という思いにさせてくれます。
ちょうど、
園部さんご兄弟とお仲間の皆さんに、
「せめてお墓は、きちんとしたものを作りたい」と
思わせたように。
オマールさんだけではありません。
志をもって生きていても、
その志半ばで倒れてしまった方々は。
それらの方の肉体は存在していなくても、
志や想いは、
時間や空間、言葉の壁や国境を越えて
未来に引き継がれていきます。
その志に惹かれた方が、
その志を引き継ぎ、よりよい未来を創ることに
尽力してきました。
そう考えると、
今の私たちが暮らす毎日は、
名もなき多くの人々が、
後の世の私たちに残したいと思った
志の数々の上に
成り立っていると言っても。
過言ではないのかもしれません。
8月のこの時期は、
平和の尊さを改めて確認するとともに、
それらの方々の志に感謝をする時期でも
あるのかもしれません。
そして、
それらの方が、
未来を想って志を胸に抱いたのと同じように、
私たちが、これからの50年後、100年後、
後輩や子孫に残したい未来を想うときに、
私たちの心に湧いてくる志を大切にする時期でも
あるのかもしれません。
あなたが、
未来の後輩や子孫に残したいものは何ですか?
今日のこの記事が、
あなたの志を改めて見つめなおすきっかけになったら、
幸いです。
今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。