食品ロスをなくし、笑顔が広がる食卓をつくる
現在、日本では
年間500から800万トンの食品が廃棄されていることをご存知ですか。
なんとこの量は、
日本で生産される
コメの生産量と同じ量です。
目取真興明氏は幼少期の実体験をもとに、
両親の想いを受け継ぎ、
3つの施策をもとに食品ロスをなくす世の中をつくりだします。
『食品ロスをなくし、笑顔があふれる食卓をつくる』
メドルマフーズの目取眞 興明と申します。
本日はよろしくお願いいたします。
思い出の味・思い出に残らない味
みなさんに1つ、
質問させてください。
「あなたにとって思い出の味とは」
と聞かれましたら、
みなさんどのように思い浮かべますでしょうか。
少し、想像してみてください。
たとえば、
有名レストランの味、
はじめてデートに行ったお店の味、
お母さんの手料理の味、
などあると思います。
そういった思い出の味というのは一人一人に存在します。
私の思い出の味とは、
中国人のお母さんが作った水餃子です。
こちらの写真にあるのは、
昨日、お母さんが作った水餃子です。
これをお腹一杯食べて、
すごく幸せな気持ちになりました。
子供のころからこの餃子が大好きで、
友達にも評判が良かったです。
一方で、思い出に残らない味っていうものもあります。
無意識で食べている食事、
エネルギー補給のための食事。
こうした食事に関しては、
今、食べ物がどこでも買える時代だからこそ
起きているものだと思っております。
こうした思い出に残らない味っていうものは、
続いてしまうと
食べ物への思いっていうものが薄れてしまう
と思います。
こうした食べ物への思いが薄れてしまうと、
食べ物を粗末に扱ってしまいます。
食べ物を粗末に扱うと、
食品ロス(食べられるのに廃棄されるもの)が発生します。
日本では、
年間500から800万トンの食品が廃棄されています。
これは日本で生産される、コメの生産量と同じ量です。
私は東京農業大学で食品経済を学び、
現在は、農業ベンチャーの会社で勤務しております。
食品ロスをなくし、
思い出の味を提供するメドルマフーズの設立の準備をしております。
今日はそういった食品ロスをなくして、
笑顔があふれる食卓をつくる方法についてお話いたします。
食品ロスをなくすための3つの施策とは
私が考える食品ロスをなくすための3つの施策。
まず1つ目が食品ロスを集め必要な人に渡すフードバンクの設立です。
そもそもフードバンクとは何かということを説明させてください。
皆さんにイメージしていただくとわかるのは、
リサイクルショップの食品バージョンです。
各企業や個人で余っている食べ物を、
必要なところ、
各福祉施設、
児童養護施設でしたり、
ホームレスの支援団体、
そうした各施設・団体に、必要なところに配給し、
そういった食品ロスを有効活用する取り組みを行います。
食べられるのに廃棄されるのは非常にもったいない。
こういった「もったいない」の輪が広がり、
食品ロスを有効活用する取り組みをいたします。
2つ目が規格外野菜を活用した食品開発です。
規格外野菜とは、
大きさ、色、形、品質
などが企画に適合しない野菜のことを指します。
こうした野菜たちというのは、
収穫したにも関わらず捨ててしまうという現状があります。
ただこうした
規格外野菜は鮮度や味には問題ありません。
そういった野菜を集めて、
思い出の味を再現したい
と思っております。
例えばこうした水餃子。
これはお母さんの味を再現いたします。
あとはレトルトカレーの開発です。
私はカレーが大好きでレトルトカレー研究家というかたちでも活動しております。
そのなかで、
無添加で体にいいレトルトカレーを開発したい
と考えております。
もうひとつがコロッケの開発です。
これは弟の思い出の味がコロッケであります。
そういった周りの家族、大切な家族の思い出の味を再現いたします。
こうした食品の開発で、
愛情が詰まった食品を提供したい
と思っています。
3つ目が食育の取り組みです。
食育活動は料理教室、学校教育などで
食に関する知識と健全な食生活を実施することができる人間を育てます。
食育の取り組みの中で大切にしたいこと、
それは食べ物へ感謝することを伝えたい。
この食べ物に対して感謝の思いを伝える、
例えばみなさん、
「いただきます」、「ごちそうさま」
という言葉があると思いますが、
「いただきます」
という言葉は、
はじめに作っていただいた方に感謝する、
あと食材を提供してくれた方に感謝する、
そういった意味を込めて、
召し上がる前に「いただきます」というふうに言葉を述べると思います。
で、食べ終わったら、
それを作ってくれた人に対して、
ありがとうという気持ちを込めて
「ごちそうさま」という言葉を添えます。
そういった感謝するっていう気持ちを伝えたいと思っております。
母親が大事にしてきたこと
そして私のお母さんが大切にしてきたもの、それは
お金がなくても食べ物に不自由させない
ということです。
私の家庭は自営業の家庭だったので、
収入が安定していませんでした。
ただ周りの人から、
賞味期限切れのパンをもらったり、
定価よりも安く食べ物を仕入れたりしていました。
こうしたことによってお金がなくても
食べ物があるということで安心感がありました。
食べ物があることによって、
心も体も豊かになっておりました。
こうした、
3つの事業を通じて
「フードバンク」、「食品開発」、「食育」
の取り組みを通して笑顔あふれる食卓を作ります。
私の人生の目的は、笑顔の一滴になること
私の人生の目的は笑顔の一滴になることでございます。
この食の事業を通じて、世界の人々が笑顔になり、
先ほどの一滴を投じたことによって
幸せな波紋が広がっていく世界を実現いたします。
どうして食を通じて人を笑顔にしたいのか。
それはお父さんの影響を受けております。
多くの人を笑顔にし、幸せにしたい父親の影響
お父さんは小学校4年生の時に、
脳梗塞で倒れ、今現在ではすでに亡くなっております。
お父さんとの思い出をひとつ、お話させてください。
お父さんとは一緒にゲームをして遊んだり、
友人と喧嘩したという話をすると、
「その友人は誰なのか」
みたいな形で校長先生に直談判をするような、
こういった
愛情はすごく深いんですけれども、
表現するのが苦手な方でした。
お父さんは様々な事業を行い、家庭を支えていました。
事業の一例を挙げるとパーランクーの事業です。
パーランクーとは
沖縄の伝統芸能のひとつであるエイサーで使用される打楽器です。
こちらの原料を中国人のお母さんが
中国で安く生産いたしまして沖縄で販売していました。
お父さんは商談の際、
規模の大きい話をしていたため
周りに理解されていなかったです。
規模の大きい話というのは、
手持ちが2,000円しかもっていなのに
2億円の話をしてしまうような人です。
それでわかる通り、そうですね、
常に新しいことにチャレンジし続けた人でもあります。
つまり、この規模が広い、大きいというのは、
お父さんは多くの人を笑顔にし、幸せにしたかった
というふうに感じております。
両親の想いを受け継ぎ、食品ロスをなくす
こうして食を大切にしてきたお母さん、
多くの人を笑顔にしたかったお父さん。
こうした
二人の想いを継いで、食品ロスをなくす、
輝く未来をあなたに。
ありがとうございました。