私の大切な日
10月15日
この日は私にとって
とても大切な日となりました。
こんにちは、坂本憲彦です。
人にはそれぞれに
記念となる日があると思います。
それは、誕生日であったり、結婚式だったり
メンターとの出会いであったり
いろいろあると思います。
私にとって、大きな人生の転換期となった
その一つが10月15日です。
それは・・・父が亡くなった日です。
父が亡くなって3年。
それは私の人生にとっても
大きく舵を切るきっかけになりました。
そして今、人生をかけてやろうとする
坂本立志塾で伝えるべき内容にも大きく影響しています。
今更ながら、深く想い、感じるようになった
私の父について、少しだけお話したいと思います。
10月15日は父が亡くなって3年目の命日でした。
今、思うと私にとって父は本当に誇らしい人でした。
仕事はサラリーマンでしたが、
いつも人のため、地域のために活動している人でした。
PTAの会長を私が小中高のときにずっとやっていたり、
和歌山県のソフトボール協会の事務局長を長く務めていたり、
定年後も自治会長を10年以上務めている人でした。
そんな父が3年前の2013年にこの世を去りました。
父が亡くなって、
改めて父のことをすごい人だと思うようになりました。
印象に残っているのが、
父の葬儀です。
和歌山の実家の近くにあるお寺で葬儀を行いました。
その葬儀には、お通夜と告別式を合わせて
600人以上の方が参列してくれました。
近所の公園を駐車場にしましたが、
一杯になり大変でした。
また、ご焼香をしていただくのにも
1時間以上待っていただきました。
私はご参列いただいた方々に
お辞儀をして、ご挨拶をさせていただきました。
その方々の中には、
歩くのもやっとというご年配の方から、
若いお母さんと一緒に小さな子供さんまで
お参りにきてくれていました。
人の価値は、
死ぬときに決まるとよく言われています。
私の父は有名人でもなんでもないです。
でも、そんな父のために
600名以上の方が来てくれたというのが、
私にとっては、本当に大きな衝撃でした。
父の生前の活動が、本当に目に浮かびます。
聞けば、父はいつも
地域の人の葬儀の世話役をやっていました。
近所の方が亡くなったら、葬儀に出かけ、
悲しんでいるご遺族に変わって、
葬儀の下準備を手伝ったりしていました。
また、ある時は、
近くにある川を一人で掃除していたそうです。
普段は自治会などでも清掃をしていますが、
気になったのか、自分一人でも近所の川を掃除していたそうです。
近くの公園で、子供たちが夜遅くまで遊んでいたら、
叱りに行くような人でもありました。
本当に地域のため、
人のために生きていた人だと思います。
そんな父だからこそ、
葬儀のときに600名以上の方々が
来てくれたのだと思います。
私は父の葬儀を体験して、
一つ目標が出来ました。
自分が死ぬときに、
父の葬儀のときに集まっていただいた以上の
人に来てもらえるような人間になることです。
私にとっては偉大な父の子として、
父を超えること。
それが私の使命でもあります。
そのためにも、
世のため、人のために、
生きていくことが大事だと感じています。
正直、父とは、そんなに深い話をした記憶はありません。
いつも実家に帰省して、いろいろ話はしていましたが、
自分の悩みや本心を話した記憶はあまりありません。
自分が若かったのもあるかもしれません。
人に頼ってはいけないという想いがありました。
でも、今になって、
父ともっといろいろ話しておけばよかったという想いがあります。
仕事のこと、
人生のこと、
若くして亡くなった母のこと、
もっと父と本音で話して、いろいろ
教えてもらいたかったという想いがあります。
だから、もし、これを読んでいる方も
ご自身のお父さん、お母さんとは、
生きている間に、いろんな話しをしてくださいね。
亡くなってしまうと、聞きたくても聞けなくなってしまいます。
そんなことを思った
父、坂本義浩の命日でした。
今は心の中で父と会話しています。