こどもの志教育で未来のリーダーを育てる !受け身の学びから主体的な学びへの教育改革

立志財団会員ロング・インタビューでは、会員のみなさまの志やビジネスのサクセスストーリーをご紹介していきます。

今回は、一般社団法人志教育プロジェクトで専務理事をされている北見 俊則(きたみ としのり)さんです。目的意識をもって学び、リーダーシップを発揮できるこどもたちを育てるための志教育についてお話いただきました。

志を持つ青少年を育てる

−まず、現在のお仕事について教えていただけますか?

一般社団法人志教育プロジェクトで専務理事をしています。『世界青少年「志」プレゼンテーション大会』を立ち上げて、今年で4回目になります。最優秀賞を取った子たちは文部科学大臣賞や、環境大臣賞をいただけるような大会になってきたので、ここから育っていくこどもたちを応援していきたいと思っています。

僕が目指しているのは、個人の利益や会社の利益、国の利益を超えて、地球全体の利益のために動ける人、“地球益”を目指す志あるリーダーを育てることです。

塾に一生懸命に通って貴重な時間を費やす、だけど結果的にリーダーシップがちゃんととれない、そういう国になっているのは悲しいですよね。これは教育の責任だと思うんですよ。本当は一番学ぶべきことを学んでいないんじゃないかと。その一つが志だと思っています。

 

与えられた学びから意志ある学びへ

−志教育を始められたきっかけはなんですか?

中学校の校長をしていた時に、全校生徒を対象に志教育をやったんですね。そしたらこどもたちがすごく次元上昇する感じがしたんですよ。

変化は2つあって、一つは友達同士の関係性が変わったこと。公立なので小さい時からみんな仲良しで育ってきたんですよね。だけど志を聞いた時に「えーっ、そんな考えてたの」「知らなかったし、知ったからには応援しなきゃ」って。自分も「言ったからにはやらなきゃ」という、お互いの志を応援し合う関係に変わっていきました。

もう一つは、こどもたちが校長室に「僕の志を聞いてください」って来て、話をした後「僕はこのために勉強をします」と言う子たちが現れてきたんです。

僕は教員になってから後半は“与えられた学びから意志ある学びへ”をテーマにしていました。やらなきゃいけないから仕方なくやっている勉強、しかもそれは大学受験のための勉強になっていて、自分の力を活かすこととは全く関係がない。そこでいろんなことを実践してきましたが、とどのつまり志教育かって。志を立てることで自分から勉強をし始める、これはもしかして教育の一丁目一番地なんじゃないかなと思ったんですよね。

定年退職をした後は再任用の校長をやろうと思っていたけれど、校長をやる人は他にもいる、この志教育を広げる人はそうそういないんじゃないかと思って、自分がやろうと決めました。

 

レクリエーションで学校を変える

−定年を迎えて教育を変える活動を始めたんですね。

日本の教育を変える想いは現役時代も変わらずあって、レクリエーションを通して行っていました。たまたま出会ったレクリエーションで、短時間に人間関係が深まって、いい場を作っていくことができたんですよね。

レクリエーションで人が変わるとすれば学校も変わるんじゃないかという仮説のもとに、横浜市学校レクセミナーを作って小中学校の先生を中心に活動しました。年間8回の宿泊と、それに付随するいろいろなイベントがあって、毎月のようにみんなで活動をしていました。初任3年目でこのセミナーを作って、何と38年経った今もその活動が続いています。同じ頃、全国各地、最大22の都道府県に学校レクの研究会ができて、その全国学校レクネットワークを束ねて28年間全国大会をやってきましたが、その初代の代表も務めました。

レクリエーションは、“リ・クリエート”、再創造。今あるものをより楽しくより面白く再創造していく。そうすると、みんなが主体的に関われるようになって自分の創造性も発揮する。そしてその活動そのもので自分が成長できる実感があり、周りから拍手が送られる。この主体的、創造的、自己発展的で社会的承認が得られるような活動を学校のあらゆるところにつくっていこうというのが学校レク運動ですね。

ですからレクをすること自体が目的ではなくて、学校を再創造すること、楽しくいきいきとした学校づくりを目指して全国の先生が活動をしていました。これが僕が最初に取り組んだ学校を変えるための活動で、それに付随していろんな活動が生まれてきました。

自分を見つめ直して出会った志

−レクリエーションから志の教育に変化した転機は?

45歳の時に悪性リンパ腫という癌になって、2か月間療養休暇をもらいました。こどもたちには「自分の病気に向き合うのと、自分の人生に向き合う、その2つをやってくるから」と言って休みに入ったのね。で、病気とは向かい合いました。でも、人生とはなかなか向かい合えていなくてちょっと焦っていた時に、ご縁があって入っていた“メキキの会”で1泊2日の天命を見出す道場をやるということだったんです。

もしかしたらそこに行ったら何か見えるかもしれないと思って行きました。そしたら一日目の夜にふと降りてくるものがあって、一人になって考えたんですよ。もしかしたら命短いかもしれないじゃないですか。仕事もこのまま続けていていいのかなとか、畑を耕したりする生活にした方がいいんじゃないかとか、そういう迷いもあったんですよね。だけど、ちょっと待てよと。今までやり続けてきたことを死ぬまでやろうと思ったんです。自分がやってきたこと、やりたいことってなんだろうと思った時に3つ出てきました。1つは『志ある若者を育てる』、2つ目は『全国の学校の先生の元気を応援する』、3つ目が『地域とともにある学校づくりをする』。

そこから学級通信の題名を志にしたり、志を意識した活動をずっとしていました。そして校長になった頃、ちょうど志教育がメキキの会から始まっていました。東日本大震災の時に宮城県牡鹿半島の避難所をメキキの会が支援していた関係で、初めての志教育を牡鹿中学校でやりました。生徒たちが短時間で志を立てられるように、誰もが志をすぐできる方法を使ってやったんですよ。これだったらこどもたちも志を立てられるなと思って、自分が校長になった時に実践したんですよね。そしたらさっき言ったような変化があって、今までいろんなことをやってきたけどこれは最も大切なことなんじゃないかと思って、それからこの活動を始めたんですね。

学校では学べない教育の場を創る

−これからの展望を教えてください。

今構想をしているのは、学校の中で学べなかった大切なことを勉強できる場を作りたいと思っています。教育の中でやれてこなかった本当に大事なことを学んでいったら自動的に志が立っていくと思うんですよね。

目的意識が全くないまま、とにかく少しでもいい大学に行けばいいとなると、東大や早稲田に行ってもあまりにももったいないだろうって。日本の文化や精神の中に素晴らしいものがありながら、それを発揮できない、そんな日本でいいんですかと。それを立て直していきたい、それは教育にしかできないと思っています。